あい

学びで1番整理しないといけないと思うことは愛についてです。

 

 

結論から言えば

〇〇の行動

〇〇な言葉

愛はそれらで定義できません。

 

※愛は言葉や行動の問題ではないということが大前提です。

 

 

感情❤️→言葉→行動

 

本人が内側から感じている感情が 

愛なのかが全てになります。

(これは他者へではなく自分にです)

 

 

エゴではなく純粋か

 

 

例えば

 

自分は現在結婚していて

独身の時からの親友がいて

その親友は今も独身だとします。

 

 

 

「あなたはこうしたら結婚できるよ」

 

など、

 

相手に説教し始めたらその関係には

愛がありません。

 

 

どんな人も短所長所含めありのままの自分を認めてほしいからです。

 

 

親友が大切だからと愛を感じたから

相手のためだと思って言っているかもしれませんがそれは勘違いです。

 

それは完全な自己愛、エゴです。

 

コントロールになります。

 

人は自分より上から説教されたいなんて人は

一人もいません。

 

男女関係なく相手をありのまま受け入れれなくなったらその関係に、愛はありません。

 

ここまできたら去る事が愛のある行動になりうるわけです。

 

※去る=愛 ではないです。

 

 

 

 

繰り返しますが

 

この言葉を言えば愛がある

こんな行動を取れば愛がある

逆にそれらをしなかったら愛がない。

 

という事は何も存在しません。

 

愛って恋愛のイメージが特に多いと思いますが、

 

愛とは自分が相手と関わっているかではないです。

 

簡単に言えば与えるだけです。

 

自分が関わっていてもいなくても

どっちでも

相手の幸せを願える事が愛です。

(↑これは言葉にするとですから実際には

いちいちそんな事も考えていない状態です)

 

相手が幸せでその幸せに貢献したのは自分だと思うのは完全にエゴです。

 

 

自己満の自我を超えてはじめて愛になります。

 

人間を愛するとは不完全を愛するという事です。

 

どんな人間にも短所と長所が必ずあります。

 

相手の短所を自分の長所で補う。

 

最後に注意点ですが

この話は他者(親友)へ向けるのではなく、

自分自身に愛を向けるからそのような結果が生まれます。

 

最初に愛は行動でも言葉でもないといいました。

 

 

自分を許し認めているから自らに愛が生まれます。

 

だから相手をコントロールする現象が生まれない。意識がそこにいかないのです。

 

ここを注意深く理解しなくてはいけません。

 

なので自己犠牲などありえません!

 

外側の言葉や行動に意識が向いていたら

僕が我慢すれば丸く収まるなど勘違いしやすいのでまずは自分を愛すことから考えると理解しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他人の目

僕達はなぜ、

人にどう見られるのか、人にどう評価されるのかを大なり小なり気にしてしまうのでしょうか。

 

今回、調べてわかったことは人は乳幼児期から他人の目を気にするということです。

 

会社員は上司の評価を気にしますが、

 

それらは子どもの頃から同じで

親からほめられれば喜び、叱られれば悲しみを経験します。

 

それは一概に悪いとは言えず

人の評価を気にすることで、子どもは社会性を身につけて世の中全体の進化へ繋がる側面は否定できません。

 

乳幼児は、いつも自分の近くにいる人を信頼できると理解して「安心」を学びます。

 

そうやって最初は「自分が安心」するために

保護者のそばにいます。

 

そうやって大人になり少しずつ人の目を気にします。

 

結論から言うと

競争社会の原理から進化の過程でしかたのない事。

 

※過程 物事を達成する途中の段階

 

 

誰も悪くない大前提のもと、

整理してみましょう。

 

自身の行動や発言で「悪く思われた」と

仮定します。

 

※仮定 一時的にこうであると想定すること

 

相手が具体的にどんな行動をするかを嫌なパターンを想定。

 

例えば

 

 

「嫌なことを言ってくる」

「嫌がらせをされる」

「陥れようとしてくる」など

 

 

次にこれらの被害が実際にあるのかどうかを考えます。

 

相手の反応を考えてみたとき、多少悪く思われても、具体的にはとくに何も問題は起こらないようであれば、何も心配いりません。

 

ありのままの自分をだしたわけですから

そっちに意識を向けましょう。

 

理由を解説します。

 

もちろん共存社会ですから自分の意見ばかりではなく、人を尊重して思いやりは大切です。

 

ただ、注意しなければならないのは

本来の自分を偽ってまでの承認欲求

(思いやり)はエゴです。

 

コップの水が溢れているから溢れた分をつかうのが正常です。

 

もし、コップに水が少ないと思っているのに

認められたい

常識的に

良く思われたい

 

などエゴが出てきてそれに従ったら

 

ありのままで いてはいけないんだと

無意識に言葉が入力されて世界がより苦しくなり不安を生みます。

 

原因は自分の中です。

 

先に自分を満たせば、コップから水が溢れるので勝手に嫌われたかな?など気にならなくなります。

 

よって

人目を気にする苦手を克服するのではなく、

しなくて良いこと(苦手)をやめると

苦手が消える仕組みです。

 

その方がラクだし、自身への愛なので周波数が不安から愛へ変わります。

 

陰陽で言うと

 

大前提は全て安定しています。

 

コントラストを体感しているだけです。

 

いいもわるいもありません。

 

しかし僕達に進化してエゴが存在しているので

 

外に不安を感じやすいと理解して、

 

自分のエゴの分離意識に気づきます。

 

 

身体の中(心、精神)は完全で安心と考え拠り所にしてください。

 

母親と🤱の関係で安心していたように

「最初は自分が安心」です。

 

自分との関係にまずは安心を持たせます。

 

やり方は外の承認欲求よりも

本来の自分でいる事を選択するだけです。

 

外が不安定に見えたら安定(自分)から満たせば外も安定する事を思い出すだけで波動は不安から愛へ切り替わります。

 

不安定から安定へ簡単にシフトします。

 

世界の公式 アップデート

 

自分=世界

 

 

今の科学で「物理世界」を解いたら自由意志はない。とされます。

自分の選んだものは全て決まっていた。と。

科学で答えを導き出す特殊な条件は客観。


主観を完全に排除して客観的だけで考えたのが科学です。

誰がやっても同じ結果を見つけるためです。


だからといって主観(自我)が存在しないわけではありません。

 

二重スリット実験は有名です。


観測者がいたら物質として存在し観測するものがなかったら波だと。

 

ここで、主観も含めた科学を考えてみました。

 

主観が見る世界と物理世界の一番の違いがわかりました。

 

それは 世界を構成する材料 です。

物理世界の材料は電磁波や原子や分子です。

主観世界の材料は五感です。

 

でもこれらの「前提は同じ素粒子」です。

 

僕達は五感で見たり聞いたりし感じたり言葉を作りました。

 

五感はどこにあるのか→身体にあります

 

身体はどこにあるのか→今ここです。


まずは、この前提は確立しました。

 


世界は一つでしようか?

 

 

 


何を意味するか→主観の世界は一つじゃない事。
主観世界は78億人分あります。


物理世界は宇宙も含めると中心はなくただただ広がっています。

 

主観世界には中心があります。

自分の体です。

存在。

主観世界の個の目的はあえて言うなら私を知る事。


精神と物質の陰陽の真ん中を自然とつくっているのです。

本来はなにもしていませんが。

 

世界 78億人の目的が同じ方向です。

 

物理次元立体の3次元に身体を持って存在するのが人間です。

 

それぞれ主観世界を持っています。

 

物理世界と主観世界の一番の違いは自分が存在するのか?です。

 

「物理世界」は1つなので誰にとっても共通します。

 

林檎は赤い丸いなどあります。


これらで、陰陽を合わせるために科学などの進化のため自我は形成されて教育へと繋がっていきます。

 

 

教育以外の各々の世界は自らの意思で

なにかしら心で感じた事を世界に働きかけるわけです。

 

ようやく出てきました。

 

意思。

 

主観世界には意思が存在します。

お昼に何を食べるのかを決めるのは自分です。

主観が決めるんです。

これが陰陽の陽で考えると自由意志です。

主観世界は自分という中心となる体があります。

体には心(陰)があります。


心で感じた情報を各々思考で選択して行動を決めます。

行動とは外の世界への働きかけです。

これは陰陽の調和の

愛(陰)の働きなんですが

科学が扱うのは外の世界の物理世界(陽)だけ。

客観的で観測可能で誰にとっても同じ世界が物理世界の科学。

 

陰陽を理解するとこれが答えなんです。

 

各々の思考の世界ではありません。

 

主観を排除すると自由意志は幻想(陰)になり存在も消えます。

 

しかし、自我は理性は思考は存在は主観を排除する理由はないです。

 

私の意識は陽の言葉の世界には確実にあります。

 

物理世界は初期値が決まるとその後の挙動が全て決まる世界です。

 

それは存在の環境です。

 

だから科学ではビックバンが起きた時から今あなたがこのタイミングでやる事が全て決まっているとなるんです。

 

主観があると認めたらどうでしょう?

自由意志はある。

 

この考え方の方が(陽)原因と結果では自然です。


焼肉と寿司で 寿司が好きだから寿司を食べました。


とても自然です。


ビックバンが爆発してから寿司を選ぶ事が決まっていた。より思考は納得できます。

 

しかしそれは陰陽の陽だけの話です。

 

もっと大きく解釈したらそれすら含むのです。

この世界はどこまで行っても陰陽です。


結論は僕達が主観で世界を作っています。

 

それは思考の世界。

 

「今」が全てなんです。

 

以下は僕の主観です。


目の前の陽の世界をより良い社会にするには
各々の主観の働きかけとして倫理が必要になってくるのではないかと思います。

 

物理世界の中心は一人一人が規範の範囲を意思で働きかけて出来上がるといいです。


まさに陰の精神ですね。

 

僕達が生まれた場所、

ある人は選んできたと言いますが、
物理世界に生きる僕達は環境で何を教わるかは陰陽の全体のバランスで自然が決めます。

この段階では全体の働きで主観はない(精神の世界)陰です。

 

今こうやって主観で考えているのが自由意志か?

これは、生まれる前から自我を持っていると成立します。

しかし片方ではこの世界は存在できません。
不確定性原理が、証明しています。

 

必ず陰陽です。

 

必ず陽から陰
陰火から陽の変化、循環でセットで一つです。


自然の働きと考えるのであれば自由意志はありません。

 

しかし、陽の現実の進化と考えた場合、全て肯定なので選んできたとも思考では考えれます。
だから自由意志はあるとも言えます。

 

どちらも間違っていません。

 

言葉にすると偏って見えるのは僕達の考え方で陰陽のバランスで見るとその人は関係ありません。そして、言葉にすると偏ったとされる僕達の思考や発言行動も陰陽のバランスで完璧です。

あなたが世界の真ん中で自由で全体のバランスでフラクタルなら今この選択を愛にしませんか?

 

今がタイミングかもしれません。

 

 


まとめると、主観がない時、思考に囚われていない時は自由意志オートマチックに存在し、

思考を使って物理世界で行動する事に自由意志はない。思考の仮想現実に縛られます。

僕らが想像するイメージとは真逆です。

 

どちらも完璧です。

 

論理と心で幸福を考える

幸福を辞書で調べると

満ち足りている 不平不満がなくたのしいこと 

です。

 

突き詰めると幸福のインフラは3つからなっていて8つのパターンが導き出されます。

 

これらは物質から見た解説です。

 

・自由→金融資産

自己実現→人的資産

・共同体(絆)→社会資本

 

この三つで幸福は構成されています。

 

3つ全てないと幸福になれないのではなくて、

この3つでどれか「欠けていると意識すると

人は不幸を感じます」。

 

欠けていると

「不幸になる」ではなく、

「不幸を感じる」です。

 

以下解説です。

 

自由→不動産を含めた財産

 

自己実現→働いてお金を稼ぐ能力

    (個人的資本ともいえます。)

 

共同体→家族、友達など人間関係。

 

自由が ある、ない

自己実現が ある、ない

共同体が ある、ない

 

この2×2×2の8つのパターンで幸福は定義できます。

 

全てある(現実にほぼあり得ない)⭐️⭐️⭐️

・超リア充(財産もあって稼ぐ能力もあって友達もいる状態)

 

2つある⭐️⭐️

リア充(財産はないけど稼ぐ能力もあって友達もいる状態)

・旦那(財産はあるし友達もいるんだけど稼ぐ能力はない状態)

・金持ち(財産はあって稼ぐ能力はあるけど友達のいない状態)

 

1つある⭐️

・退職者(財産はある状態)

・ソロ充(稼ぐ能力はある状態)

・プア充(友達はいる状態)

 

全てない(※一つ手に入れたらすぐ上にいけるから気にしなくていい)

・貧困(状態)

 

多くの人は全てあると全てないに惑わされてない方に目を向けて悩みます。

 

しかし、全てあるのは現実的じゃないし

貧困もネット上でも繋がりを1人いればもう抜けれるわけです。

 

つまり多くの人は2つか1つしか持っていない事を理解します。

 

普通が1つか2つなら

1つの場合、あと一つ揃えたら幸福な状態であると理解できます。2つあってもあと一つです。ゲーム感覚です。

 

そもそも意識しなければ幸福なんです。

 

 

非物質の感覚は

陰陽のバランスですから

そもそもが幸せです

 

物質ばかり意識しなければ

そもそもろ論、原因の非物質の周波数がハッピーなら物質もハッピーに写します。

法則として必ずセットです。

 

必ず原因は陰の愛からです。

 

愛は全てを含みます。

 

物質的に辛いとされることも

それを想うと写します。

 

ここを理解したら高い視点で洞察できます

 

 

 

 

 

 

 

 

お陰様

138億年前、

 

 

無の世界、宇宙という概念もない世界

 

 

真っ暗です、何も見えません

触ることも音がすることもないです。

 

 

しかし、

「何かが」あるのが分かりました。

 

 

「粒子」

物質の元です。

 

 

 

それは何もないところから突然生まれ、

そしてまた消えていきます。

 

 

 

 

粒子の種類は2つあって

 

「粒子」と、

粒子と反対の性質を持った

反粒子」。

 

 

 

この粒子と反粒子は互いにぶつかり消滅してしまいます。

 

ただ消滅するだけでなく、

そこに「新たなエネルギー」を残して

粒子と反粒子は消えます。

 

 

そんな誕生と消滅があちらこちらで

何度も何度も繰り返されます。

 

 

何もないと思われた場所は

「全エネルギー」が一点に集まった場所でした。

 

 

その全エネルギーを元に、粒子と反粒子

誕生しては消滅を繰り返していました。

 

 

 

ある時、

誕生、消滅のくり返しで残ったエネルギー同士でも調和をとって

いっきに空間を押し広げていきました。

 

 

 

例えるなら目に見えないウイルスが

一瞬で銀河団の大きさにまで膨張。

 

 

これを「インフレーション」といいます。

 

 

 

とんでもない勢いで膨張を続けると

やがて宇宙は燃える火の玉のような世界になります。

 

 

「ビッグバン」

 

 

 

 

この時、誕生した粒子たちがもととなり

長い長い時間をかけて、地球を、大地を

そして私たち人間を含む生命を

生み出していくことになります。

 

 

 

 全エネルギーが一点に集中したそんな世界から始まり

そこでは、全エネルギーを元に

「粒子」と、「反粒子」が誕生していた。

生まれたばかりの粒子と反粒子はすぐに衝突して消滅

 

 「新たなエネルギー」を残し消える。

 

「新たなエネルギー」にも調和の法則が働き

 一気に膨張、インフレーションが起きた。

 

このインフレーションのエネルギーが、

 太陽、月、地球、大地、木火土金水、植物、生命になり、

 

オギャーと生まれて令和の今がある。

 

生まれた時から周囲に言葉で話しかけられ

次第に分離の自我が芽生える。

 

言葉によって年齢を数字で教えられ

経験値が学問に繋がり

学問が社会では競争原理に。

 

これらを超えて哲学にたどり着いて

 

世の中は

言葉と経験の戦争の中にあると気づく。

 

この二つは性質が違うだけで同じものだ。

 

 

 

誕生してから言葉は外から教えられ それを元に生き

言葉が内(陰)に生まれ それが外(陽)に結果(経験)として現れる。

 

僕達は外だけを見て自分だと生きてきた。

 

物質を発展させるために外に神がいると人間は宗教を作り

 

インターネットや、科学をつくり、

 

精神の世界と物理世界の陰陽を

整えました。

 

何1つも間違いはなく正しい方法でここまできました。

 

3000年かけて今

 

冬至の陰の始まりで陰陽が更に入れ替わっています。

 

今までの陽の1番大きなタイミングです。

 

陽極めれば陰になります。

冬至を過ぎて陽の世の中を陰で強めています。

 

 

来年はびっくりするような出来事が各界隈で予想されていますが大きな変化を経験しているからです。

 

これからは物質世界を精神の意識で生きます。

 

分離がありません。

 

 

 

神の世界、楽園です。

 

 

平成は 天皇が平民に成るという意味でした。

 

平和に成るなど、諸説ありますが

考古学、学問的にはそのようです。

 

明治天皇が一般にも天皇家の言葉の学問を広めるためにそのような方向へ自然と変化しました。

 

昭和までと平成からは違いがわかるはずです。

 

少しずつ精神的な物質の生き方へ向かっています。

 

この物理世界は精神の世界とイコールです。

 

 

 

 

コロナは陽の最後のイベントです。

 

 

ワクチンなど分離は陽の時代のクライマックスのストーリーです。

 

長い歴史の結末は陰陽の真ん中、

調和の愛に辿り着くのは、自然法則です。

 

陰陽の世界に生きているのに

ここだけそうならないという人は陽の意識だけだからです。

 

 

 

個が世界を創造しています。

 

 

今はコロナのワクチンで、世の中は

分離しています。

 

正しい、おかしい、悲しい、怒りなど陽の意識を原因にして今の世の中を作っています。

 

陰陽の真ん中調和愛で見た時、

つまり精神と物質を中立に見た時、

 

 

 

完璧なはずです。

 

正しさは偏った世界の話です。

 

しかしこれらは経験しなければならなかったのです。

 

全て自然に選ばされています。

 

陽だけ見たら自分が経験して選んでいるように見えますが、僕達は愛の働きの中にいます。

 

今、自然が起こって消えているだけです。

 

アルファでオメガ

 

これが真理です。

 

数学科学でも不確定性原理を証明した今の世の中。

 

静と動きは必ずセットです。

 

これがもう答えです。

全ては縁起です。

 

言葉の概念の1番下は矛盾です。

そして、1番上の、概念は空です。

何もないけど全て存在しています。

 

これから僕達一人一人が外だけでなく内に目を抜け始めていくわけです。

 

 

 

 

 

 

 

自は光です。

他は影。

 

月は太陽の光で光っています。

 

しかし、月がないと太陽は存在できません。

 

他がいないと自は存在しません。

 

必ずお陰様です。

 

これこそが陰陽調和の真ん中。

愛でこの物質を生きる神の楽園です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マトリックス

陰陽

 

 

奇跡

 

誕生

 

 

五感

 

知(言葉)

 

感情

 

今(過去未来)

 

矛盾

 

二元

 

感謝

 

一元

 

完璧

 

ゴール

 

豊か

 

充足

 

全て

 

至福

 

天国

 

悟り=差取り

 

知(情報)

 

 

今(過去未来)

 

 

感謝

 

 

 

 

これらを整理するので細かく分けます。

 

分ける=分かるの語源から

 

 

 

わかる「我離る」

 

 

 

我 離る の語源

 

 

「われ(我)」

自己を表現する一人称

存在が確かなこと。確信性をもって、表現されたもの。

 

 

かる「離る」

 

離れる、遠ざかる 

 

 

わかる「我離る」⬇︎

 

自己の存在が「今」から離れ「思考」へ分かれ思考から自我(エゴ)が生まれ分離意識の誕生です。

 

進化の過程でこの自我(エゴ、思考)を自分だと感じて生きてきました。

 

最初にエゴに感謝。

 

これで物質世界の発展により最高レベルの科学を手に入れました。

 

精神と物質、競争社会も全て僕達の精神の理でこの順序で必ず経験しなければいけません。

 

真理の順序として必ずその道を辿る

生命原理の法則なのです。

 

救われとは何か?の答えではなく

生命とは何か?の原理原則です。

 

説明を続けます。

 

 

 

 

意識の違い⬇︎

 

 

感じる世界「今」=安心

 

 

考える世界「思考」=不安

 

 

これらの世界はつねにあります。

 

不安(思考)がないと安心(今)もありません。

 

不安になれるから安心できます。

 

二元を経験できるのは素晴らしいことです。

 

進化の過程で陽の考える世界だけで多くの人が生きています。

 


考える事も両方の脳を使わなければ間違えます。


右脳の情(感覚・陰)
左脳の理(論理・陽)
この2つの要素が全てです。

 

感覚的なものは、他者と自己の違い
論理的なものは、原因と結果の流れ

 

他者と自己が空間を生み、

調和が生まれ


原因と結果が時間を生み、

進歩が生まれます。

 


陰(愛)=陽(知)

陰(反省)=陽(発展)

 

 

 

陰は心で感じ 陽は頭で考えます。

 

法則は以下の順番です。

 

陰(思い)が原因を作り

陽(行い)で結果を作ります

 

 

陰の心の中に陽の頭で考える内容を入れる事を

結果主義といいます。

 

これがマトリックスです。

 

理解しておきましょう。

 

 

 

四季や天気、自転公転のように自然界は全て陰陽の変化の世界です。

 

 

陽のエゴは物を買ったりして欲求を外から満たしますが物よりも内の安心が欲しいわけです。

 

いくら外の現象で欲求を満たしても心は安心できません。

 

 

裏と表は絶対にセットなのに

別々のように感じて 心は安心できない。

無意識に一つになりたい欲求があるわけです。

 

 

 

 

杜撰 が存在しないと

完璧 は存在しません。

 

言葉で完璧は存在しますが科学で証明できません。

 

 

陽だけでは

矛盾します。

 

 

陽の考えがなかったら何が残りますか?

 

 

存在?

 

 

 

 

呼吸?

 

 

 

 

命?

 

 

生まれた時から言葉がなかったらどうですか?

 

テレパシーがあるならそれは今です。

 

言葉は全て過去と未来です。

 

 

3秒考えるのを止めれますか?

 

 

それについて考えなければ何も起きません。

 

これが陰の安心の答えです。

 

は?ですよねw

 

 

 

私がいないと世界は存在しません。

 

私が世界全てです。

 

 

私が奇跡で世界の創造主です。

 

神は全てで素粒子です。意識があるとそこに世界が存在します。

 

 

寝ている時世界はありません。起きたら世界が誕生します。

 

全て言葉でできた世界、夢なんです。

 

3次元は陰陽の法則で原因と結果です。

思ったことが体感できます。

 

 

 

 

ここまできたら思考は心強い最強のサポーターです。

 

 

 

 

 

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I

 

 

DVD💿をDVDプレイヤーに入れて再生する。

 

 

DVD💿はDVDプレイヤーに入れて、信号に変換されて初めて映像が映ります。

 

DVDプレイヤー(変換するもの)がないと映像は現れません。 

 

それと同じように

「世界そのもの」と「人間が見ている世界」

 

人間《変換するもの)がいて

初めて「人間が見ている世界」が現れます。

 

 

そして

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。

この5感を使って、情報を受け取ります。

 

 

物事から情報を受け取る時、空間と時間という仕組みが必要です。

 

 

空間と時間という枠組みは人間が持った感覚と考えることができます。

 

 

5感読み取ってきた情報を分析して

意味あるものにするのが考える力です。

 

 

 

5感のルール(空間と時間)のように、

考える力にもルールがあります。

 

それは

因果律(原因と結果)です。

 

 

 

例えば、床で割れている卵を見たとします。

なぜ割れているのか考える時に、

 

「テーブルの上から落ちたからだ」とか

「誰かが落とした」とか

 

原因を探します。

 

原因(テーブルの上から落ちた)がないと

そのような結果(床で割れている卵)になっているのか理解できないからです。

 

何か「結果」を見た時に「 なぜ? 」 と

物事を理解する仕組みです。

 

因果律」も人間の性質です。

 

この因果律の究極を考えると、

宇宙の始まりの話になります。

 

 

宇宙の始まりが ある とした場合、

 

「宇宙が始まる前の状態(宇宙がまだ存在しない無の状態)」があったことになります。

 

しかしこれでは「無」から宇宙が生じた(何の原因もなく宇宙が生じた)ことになり、説明がつきません。

 

 

逆に、

宇宙の始まりが ない とした場合、

 

この瞬間(今)があるということは

無限の過去が過ぎ去っていなければなりません。

 

 

無限の空気を吸い終わる

 

そんなことは不可能です。

 

 

これらの2つの矛盾は

(思考)にはわからない事なのです。

 

 

「世界そのもの💿」は「変換したもの」が答えなんです。

 

「世界そのもの💿」はまっさらなんです。

 

赤ちゃんの時分離はないんです。

 

完璧から全員が分離の経験をして

それが当たり前になったんです。

 

自分が世界そのものなのです。

 

変換した外の動画は世界そのものです。

 

 

 

 

善と悪 光と闇、人生の目的や理由 など全ての概念は人間が言葉で作りました。

 

科学や宗教では宇宙や人間が存在している理由は証明できません。

 

 

 

万物は全て四季のように変化します。

 

変化とは切り取った状態の事なので

完全の中に不完全は含まれる事になります。

 

 

この世界は 空 で説いたのがお釈迦様です。

 

 

僕達が存在する前から既に存在している普遍的で絶対的な何かを「真実」と呼びます。

 

 

正しい間違い 道徳 常識は、

国や時代でも変わります。

 

 

変わるものは「真実」ではありません。

 

 

存在理由すら曖昧な僕達が、

真実を語って本当に正しいとは言えるのでしょうか?

 

 

調和、分離のない世界。

 

 

頭で考えて辿り着くことができないとしたら五感があります。

 

 

 

 

「感じる」

 

 

 

 

これで「真実」に触れることは可能です。

 

真実は今にずっとありますから。

 

 

 

 

 

 

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